こんにちは。この記事を見つけていただきありがとうございます。
今回は、教育の目的についてお話ししたいと思います。
少しお堅いテーマですが、最後まで読んでいただければ嬉しいです。
こんな人に読んでもらいたい。
生徒指導に力を入れたいと思っている先生方。
自分の経験を、生徒へ語ることに抵抗がある先生方。
教育の目的
「教育は人格の完成を目指し~」
教育基本法第1条「教育の目的」
教育の目的は「人格の形成」です。
そこで「人格の形成」で必要になるものが、「自分をコントロールできる力。」
人間は元来弱い生き物です。油断するとすぐに、他者をそっちのけにして自分本位で考えたり、面倒臭がって手を抜いてしまったり。(もちろん私もですが・・・)
でも時には、そんな弱い自分を抑え、他者を優先したり、自分のやるべきことを愚直に行う。
そうやって、自分の欲望とうまく付き合い、コントロールする力が求められます。
寺崎 賢一氏はこう言います。
「人間が「理想」や「夢」を追って生きようとする時、その邪魔立てをする最たるものは、快楽と利益を求める自分自身の「欲望」である。
(寺崎賢一『生徒指導入門』明治図書,2015)
でもこのような話しを生徒にしても、納得し行動に移す者は、残念ながら1割もいないでしょう。
当然ですが、大抵の生徒は、自分の利益にならないと思ったことは、なかなかやろうとはしません。
「自分をコントロールする力をつけよう」「仲間を思いやろう」なんて言っても、ほとんどの生徒は上の空でしょう。
因果応報
では、生徒に自己コントロール力をつけさせたい私はどうするか。
「因果応報」の体験談を語る。
「良い行いをすると、良い事が起こる」という事例を紹介する。
人間は、たとえ嫌なことでも、自分にとってプラスになると思えばやります。
だから、自分の利益には直結しないと思われる行いが、実は巡り巡って自分のためになるという具体例を挙げることが有効と考えています。
この時大切なのが、教師の生の体験談です。
国語教育の大家、野口芳宏先生はこう言います。
子どもたちは、観念的なお説教や教訓ではなく、「実話」を求めているのです。「正直についてのお話」でもなく、「人類愛に関するお話」でもなく、実は教師自身の生き方や体験そのものを知りたがっています。
(野口芳宏『教師に必要な3つのこと』学陽書房,2016)
レンジャー訓練で学んだこと
以下、私の体験談にお付き合いいただければ、幸いです。
自衛官時代に経験したレンジャー訓練での出来事です。
訓練も終盤に差し掛かかった頃。
それまでの飲まず食わず状態、そして重い荷物を背負い続ける中で、私は疲労困憊でした。今にも倒れそうになりながら歩いていると、前方に落ちているオレンジ色の物体が目に入りました。
私の胸は高鳴りました。
その時、体がとにかく欲していたものが水分とカロリー。「喉から手が出るほど欲しかった」と言えば簡単ですが、当時は水たまりを見つけると、顔を近づけ、舌でペロペロと舐めていました。
「水飲みたい・・・」「何か食べたい・・・」
ここまで追い込まれた経験は、初めてでした。
正直、歩きながら、自分の欲を満たすことしか考えられませんでした。
私は指揮官でありながら、部隊の作戦は?どう指揮をしていくべきか?なんて事は、一切頭にはありませんでした。
そんな状況で、目にしたオレンジ色の物体。ウサイン・ボルトより速い速度で、一目散に駆け寄り、落ちていたみかんを手に取りました。
一気に口に頬張り、自らの欲を満たそうとしました。
しかし、その瞬間、どこかから、声が聞こえてきました。
「おい、お前だけ食っていいのかよ。」
その後、私の中に存在する二人の人物が、私に話しかけてくるのです。
A「何迷ってんだよ。そのみかん早く食っちまえ。倒れてもいいのか!」
B「おいおい、周りを見てみろ。お前と同じように苦しんでいる隊員がいるじゃないか!」
A・Bの双方の言い分を聞いたうえで、私は決断しました。
まず、一房のみかんを自らの口に放り込みました。
身体の隅々まで、水分が行き渡る最高の感覚。それまで食べたみかんの中で、間違いなく最も美味でした。
私は次に、「このたまらない感覚をもっと味わいたい」という欲望とお別れしました。
傍にいた隊員達の口の中に、残りのみかんを一房づつ放り込みました。
さて、水分とカロリーが体に行き渡り、一瞬は生き返ったものの、一房しか口にしていない私は、またすぐに飢えと渇きに苦しみ始めました。
正直後悔しました。
「全部食っとけばよかった・・・」
そんな気持ちでとぼとぼ歩いていると、おもしろい現象が起こったのです。
先程とは逆で、私の口の中に、果物を放り込んでくれる隊員達が現れたのです。
私と同じように、山中で、奇跡的に果物を見つけた隊員達。自分でまるごと食べたい欲望を抑え、周りの仲間に分け与えよう、と思ってくれたのです。
隊員達がくれたこの果物の美味しさ。先程のみかん同様、生涯忘れられない思い出です。
この果物で、私は救われました。この果物補給が無かったならば、最後まで、気力・体力は続かなかったかもしれません。果物を私の口に入れてくれた隊員達には感謝しかありません。本当にありがとう。
さて、あの時奇跡的に見つけた一つのみかん。
もしあの時、みかんを自分一人で食べていたら、どうなっていたんだろう?
もしあの時、仲間のことなど考えず、自分の欲を優先していたら、どうなっていたんだろう?
と思う時があります。
きっと、ここまで隊員と深く結びつくことがなかっただろうし、無事にこの訓練を終えることもできなかったかもしれない。訓練終了時の「充実感」や「団結心」は味わえなかったんだろうなあ、と思う。
ということは、私が誰かのためにしたことで、私が幸せを味わえていることになる。
時には、自分を優先して生きるより、他者のためになることをした方が、自分の人生がより深く、より有意義になる。
以上、こんな私の経験談を通して「人のために行動すること」について、生徒に考える機会を与えたいと思っています。
最後にもう一度、野口芳宏先生のお言葉です。
教師自身の「体験」による「実感の吐露」の影響力を考えざるを得ません。 教師自身の人生観、価値観を情熱を持って語るとき、子供の心もまたそれに応えてくれるのです。
(野口芳宏『教師に必要な3つのこと』学陽書房,2016)
まとめ
「誰かのためは、自分のため」なのかも。
ここまで読んでくださり、ありがとうございました。
これからも、このブログをよろしくお願いいたします。
さあ、今日も生徒の前で元気だしていきましょう。
「元気があれば何でもできる!」
最後に昭和初期に活躍され、日本の教育者に多大な影響を与えた森信三氏の言葉を紹介して終わります。
~この世を愉快に過ごす~
人間は、この世の中を愉快に過ごそうと思うたら、なるべく人に喜ばれるように、更には人を喜ばすように努力することです。つまり自分の欲を多少切り縮めて、少しでも人のためになるように努力するということです。
『修身教授録 一日一言』森信三著 致知出版社
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