こんにちは。この記事を探し当てていただき、ありがとうございます。
こんな人に読んでもらいたい
・言うことを聞かない生徒への対応で悩んでいる先生方
生徒と接する時に一番大切だと思うことがあります。
それは「意気がらない」ことです。
この考えに至った、初担任時代の苦い経験からお話しさせていただきます。
この記事の目次
- 生徒のせいにする高校教師
- 神様から頂いた大切な言葉
- 高校生の現状
- 高校教師の役割
- まとめ
生徒のせいにする高校教師
初の担任となった私。鼻息荒く「クラスの生徒達を自分の力で変えて見せる!」と意気込んでいました。そして「自分が懸命に生徒に向き合えば、心が通じるはずだ!」と意気がっていました。つまり「教師である自分」に酔っていたわけです。
当初は順調だと思っていたクラス運営。
しかし、徐々に指導に従わない生徒も出てきました。そして問題行動も増えていきました。
私の心は、彼らへの不平不満で一杯でした。「なぜ俺の指導に従わないんだ!」「俺の言う事を聞かないからこうなるんだ!」。抑えきれない怒りの感情は日に日に増していきました。
この状況では、当然すべての責任は、私の指導に従わない反抗的な生徒にあることになります。だから、生徒への対応は、自然とギスギスしたものに・・・。生徒との関係は、どんどん悪化していきました。
神様から頂いた大切な言葉
当時私は日々の生活に疲れ果て、教師としての情熱を失いかけていました。そんな時、神社の前を通りかかると、境内の看板に張られていた言葉が私の目に留まりました。
「正すのは他人ではなく、自分自身」
この言葉を見た時、私は大きな間違いを犯していたことに気が付きました。全てを生徒のせいにして、自らを顧みない、尊大で恥ずかしい教師。まさに生徒に「合わせる顔がない」とはこのことを言うのでしょう。
高校生の現状
この失敗以来、生徒への不平不満を口にすることを極力避けるようにしました。そして「高校教師の役割って一体何だろう?」と考えるようになりました。
まず、高校教師って、そう簡単に「生徒の人生に影響を与えられる存在にはなれない」ということに気が付きました。だって、高校生が学校で過ごす時間は、1日の3分の1程度だし、その中でも担任が関われる時間なんて半分もないんです。一生というスパンで考えれば、私が生徒と過ごす時間なんてほんの一瞬でしかないわけです。
また、義務教育に比べたら、「教師なんて大して興味ない」と思っている生徒だって、多くなります。(これはマイナスイメージで言っているのではなく、教師への「依存マインド」が抜けた、健全な発達をしている生徒であると考えています。)学校以外にバイト・恋愛・推し・SNS等高校生が興味を示すものは世の中いくらでもあります。そんな状況の中で、「俺が目の前の生徒達を変えて見せる!」と意気込んで、意気がっても、心に響く生徒は少数だし、逆に退いていく生徒の方が多いはずです。
高校教師の役割
では、高校教師の役割とは何か?
私の出した結論は
「大人って楽しそうだなあ」と思ってもらえる生き方をすること
私は、生徒に向けていた視線を、自分に向けてみました。
そして、「教師とはこうあるべきだ!」という考えを手放しました。
失敗もたくさんするし、弱いところも含めて、ありのままの自分を見てもらうことを心掛けました。「こうしろ!」と強制するのではなく、「自分はこうしてるけど、どう思う?」と選択肢を示す。そして、彼らにとって私が興味のないおじさんでも、一応話を聞いてもらえる、教師という職業のありがたさを思い、生徒に感謝すること。こんな素敵な教師という人生を楽しみ、イキイキと明るく笑顔でいること。
親の次に身近な大人である教師が、楽しそうに生きていること。これを高校生に示すことってとっても大切であり、私の最大のミッションだと思うようになりました。
こんなことを考えるようになってからは、生徒の問題行動にもそれほど腹が立たなくなりました。億劫でしょうがなかった生徒の前に立つことが、少し楽しみになりました。徐々にではありますが、どんな生徒にも平常心で接することができるようになっていきました。
まとめ
生徒の直したいところに目を向けるのではなく、自分の直すべきところに目を向ける。
そうしたらきっと、教員生活がもっと楽しくなる。
さあ、今日も生徒の前で元気だしていきましょう。
「元気があれば何でもできる!」
最後に昭和初期に活躍され、日本の教育者に多大な影響を与えた森信三氏の言葉を紹介して終わります。
真の「誠」は、何よりもまず己の務めに打ち込むところからは始まると言ってよいでしょう。すなわち誠に至る出発点は、何よりもまず自分の仕事に打ち込むということでしょう。
『修身教授録 一日一言』森信三著 致知出版社
コメント