この記事を見つけていただき、ありがとうございます。
今回は、なぜ私が自衛官を辞めたのか、について記事にしたいと思います。
こんな人に読んでほしい。
辛いこと、苦しいこと、理不尽なことに向き合っている方。
突然訪れた試練
私は大学を卒業してから、自衛官という道を選び、生きてきました。
この間、心を許せる仲間もでき、貴重な経験もさせていただきました。
しかし、これが自分の天職だと思い、「定年まで勤める」という決意を固めた頃、自衛官人生が急変しました。
上級幹部課程(富士学校)での教育を終え、九州で行われていた部隊演習に合流した日の夜、妻から電話が掛かりました。
「生まれたばかりの息子の様子がおかしい」 声が震えていました。
すぐに妻の実家がある沖縄に帰り、病院へ。
検査後、息子が持病を持って生まれてきたことが判明しました。
難病指定されている疾患で、ネットで調べると、生存率等目を覆いたくなるような数字が並んでいました。
主治医からは、手術で完治する病気ではなく、今後、生体肝移植も必要な場合が多い、と知らされました。
「移植?」
「じゃあドナーは?」
我々夫婦には、全く関係のない領域と思っていたことが、突如当事者に立たされました。
私と妻に襲い掛かってきた突然の試練。
心を整理する時間的余裕もありませんでした。
そんな中で分かったことは、二つ。
➀息子はこの病気と一生向き合っていかなくてはならないこと。
➁移植時のドナーは、両親が適合しやすく、血液型が合致している方がよいこと。
つまり、私がドナーとして、息子に肝臓を提供する日が今後訪れることを意味しました。
葛藤
私はここで悩みました。
息子の様態が改善するのならば、臓器の一つや二つでも提供しようと思うのが普通の親です。だから、自分の肝臓を提供すること事態に悩むことはありませんでした。
では何を悩んだのか。
それは、今家族に起こっている事態と自衛官としての生き方について、どう折り合いをつけるか、ということです。
自衛官は入隊時、服務の宣誓というものをします。
その中にこういう文言があります。
~事に臨んでは危険を顧みず、身をもつて責務の完遂に務め~
つまり、もし自分の身に危険が及んだ場合、自分の命を犠牲にしてでも、任務を遂行せよ、という事です。
警察にも消防にもない、日本で唯一、自衛隊にだけ存在する言葉です。
私は、「この文言こそ、自衛官の誇りであり、存在意義である」と思っていました。
「この文言に忠実な自衛官でいたい」と思っていました。
「目の前に危険が迫った時、任務を優先できる自衛官でいたい」と思っていました。
だから、今、家族のおかれた状況を前にして、悩みました。
「自分は、職務に忠実に生きていいのか?」
「自分は、任務のために自分の身を犠牲にして、簡単に命を落としていいのか?」
「息子の肝臓を提供できる自分がいなくいなったら、息子はどうなるのか?」
自衛官として守るべきこと、ドナーとして臓器を提供すること、この二つの相反することが、心の中でせめぎ合いました。
退職の決断
そして、今まで思いもしなかったことが、心の中で芽生え始めました。
それは、訓練に対する恐怖感です。
危険な訓練に向かう際、「何かあったらどうしよう」
高所から飛び降りる際に、躊躇する自分がいました。恥ずかしながら、足が震えていました。
今までは、全く起こらなかった現象でした。
また、自分は当時、指揮官という立場の人間でもありました。
こんな私でも、慕ってくれる部下隊員がいたのです。彼らは、私なんかよりずっと真面目で純粋で立派な自衛官でした。自分の命より、任務を優先するであろう、誇り高き自衛官でした。
だから私は、今の中途半端な状態で、彼らの前に立つことが恥ずかしく、そして情けなくなりました。
そして私は決断しました。
「自分は自衛官失格だ」
「自衛隊を辞めよう」
最も信頼していた当時の中隊長に、心のうちを全て打ち明けました。これまでの思いが蘇り、感情を抑えきれませんでした。自分の気持ちを察してくれた中隊長も、傍で一緒に涙を流してくれていました。
忘れられない息子の表情
でも正直、こう決断し、退職手続きを始めた後も、悔いが無かったかと言えば、嘘になります。
「辞める必要なんかないじゃないか」こう言ってくれる方も多くいました。
自分の中でも「これでよかったのだろうか?」「もっと違うやり方があったのでは?」等、色々考えました。
しかし、息子が開腹手術を終え、彼の何とも言えない表情とお腹に残る傷跡を見た瞬間、すべての雑念が吹っ飛びました。
「息子は自分なんかより、何倍も辛い思いをしている。自分なんか、たかが職を失っただけだ。全力で息子を支えよう!」
息子の贈り物
あの出来事から約10年が経ちました。今息子は、毎食後の薬は手放せないものの、自分の肝臓で、頑張って生きています。
そして今思うことが一つあります。息子への「感謝の気持ち」です。
もし息子が健常者で生まれてきていたら、今も自衛官だったであろう、私の人生。
それはそれで、充実していたかもしれません。
ただ、私が自信を持って言えるのは、「今の人生がとっても楽しい」ということ。
自衛官だった頃より、ずっと家族との時間が持てています。父親として大したことはしていませんが、子どもの成長を傍で見ることができています。
また、教師という自衛官とは違う職に就くことができ、たまらなく生きがい、やりがいを感じて生きています。
これは息子が体を張って私にくれた贈り物です。
無駄なことなど一つもない
「神様は乗り越えられない試練は与えない」と言います。
神様は天上から、その時々に、未熟な私へ必要なものを与えてくださっているのかもしれない。
だって、あの時の出来事があったからこそ、今の自分がいるから。
人生に訪れる、辛いこと、悲しいこと、理不尽なことって、全部自分を作ってくれる大事なもの。
今起きていることに、無意味なことなど、一つもない。
そんなことを思う今日この頃です。
まとめ
あなたの前で起こるすべての出来事は、あなたを光り輝かせるために、神様が準備した贈り物。
ここまで読んでくださり、ありがとうございました。
これからも、このブログをよろしくお願いいたします。
さあ、今日も生徒の前で元気だしていきましょう。
「元気があれば何でもできる!」
最後に昭和初期に活躍され、日本の教育者に多大な影響を与えた森信三氏の言葉を紹介して終わります。
~すべてためになる~
現在の自分にとって、一見いかにためにならないように見える事柄が起こっても、それは必ずや神が私にとって、それを絶対に必要と思し召されるが故に、かくは与え給うたのであると信じるのであります。
『修身教授録 一日一言』森信三著 致知出版社
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