自衛官を志した理由

自衛隊

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「自衛隊」についてもっと知りたいと思っている方に向けた内容です。

この記事を読んで得られるもの。

人はどんな理由で、自衛官を志すのかについて知ることができる。

自衛隊が直面する課題

先日、空挺レンジャーの同期と久しぶりに会い、思い出話に花を咲かせていた時の出来事。

自衛隊の現状についての話題になるや、今や高級幹部として活躍する彼は、突如真剣な面持ちで語りだした。

「自衛隊が今、やばいんだ」

「ん? 自衛隊に何かあったの?」

「全国の部隊で、定員割れが続出してる・・・。」(関連記事はこちら

自衛隊のことを知り尽くし、自衛隊の将来のことを誰よりも考えている彼の言葉は、その日以来、私の心にずっと残っていた。

「自分にできること」とは?

大学を卒業してから11年間、私を磨き続けてくれた自衛隊という組織。

自衛隊から身を引いた今、つくづく思うことがある。

それは、私が家族と日々平穏な暮らしができるのも、教師という素晴らしい仕事に勤しむことができるのも、日々訓練に励む自衛官がいるから、ということ。

日本という国がこうして存在しているのも、体を張って、「祖国の平和と安全を守る!」という気概のある自衛官がいるから、ということ。

社会の目立たないところで、「凛」として生きている仲間の面影を、高校教師となった今でも、私はよく思い出す。

私にとって、そして日本にとって、自衛官は宝だ。

そんな自衛官の成り手が、不足している・・・。

何か私にできることはないだろうか?と考えた時、自衛隊を辞めた身だからこそ語れることがあるのではないかと思った。

自衛隊生活11年間で、私が見てきたこと、感じたことを、現役隊員とは違う視点でありのままに伝えよう。

自分自身の拙い経験ではあるが、世間の人々の自衛隊に対する偏見を取り払い、理解を深められるかもしれない。

それによって、少しでも自衛隊への興味・関心を高められれば、わずかばかりだが、自衛隊への恩返しと現役自衛官への後方支援になるのではないか。

ということで、今回は私が自衛官を志した理由について話しをします。

私の人生を変えた本との出会い

私が自衛官を志したきっかけは、ある本との出会いである。

『塩苅峠』 三浦綾子作 詳しい内容はこちら→塩狩峠 (小説) – Wikipedia

峠の頂上付近で故障した列車は、急降下を始める。その時、乗客の一人であった主人公は、線路に飛び降りて列車の下敷きとなり、自らの命を犠牲にして乗客全員を救ったという、実話をもとに作られた小説だ。

平和な時代を謳歌し、何の取柄も、志もない、普通の大学生だった私。

「かわいい彼女がほしい!」「楽してお金を手に入れたい!」そんな考えが頭の半分以上を占め、自分の人生について深く考えたこともなかった私。

この小説の内容は、そんな私にとり衝撃以外何物でもなかった。

「普通、人間って自分の命が一番大事じゃないの?」

「こんな生き方をした日本人が本当にいたのか!」

「人はこのような選択を本当にできるの?」

「今だけ・自分だけ・お金だけ」と、自分のことをばかり優先して生きてきた私。

片や、最も大切であるはずの自分の命を投げうってでも、他者のことを優先する主人公。

年齢は大して変わらないにも関わらず、あまりにも対照的な生き方をしている二人。

私の薄っぺらい価値観が大きく揺さぶられた瞬間だった。

主人公への尊敬の念とともに、憧れの気持ちがふつふつと沸き起ってきた。

自分も主人公のような、生き方をしてみたい

こういう生き方を体現できるような職業に就きたい

こう思った時、真っ先に思い浮かんだのが、自衛官だった。

しかし、私が入隊を決めた当時、自衛隊に対する世間の目は、今とは違ってかなり冷たいものであった。

「あそこは、就職できない人がいく場所だ」

「自衛隊だけはやめてくれ」

「人生棒に振るぞ!」

「何も得るものなんてないよ」・・・。

自衛隊への入隊を、周りに伝えると、こういう答えが返ってくる時代だった。

私の人生を、親身に考えてくれるからこその、ありがたい助言であった。(「この助言を受け入れておけば良かった」と入隊してから思ったことがあったのも事実です。その内容は後述します。)

しかし、当時の私は、人生を懸けてやり遂げたいことが見つかったという喜びに溢れていた。

自衛隊以外の選択肢は、私にはなかった。

入隊当日の出来事

入隊する日の朝、出来損ないの私に、この上ない愛情を注いでくれた母へ、お礼と別れの言葉を伝えようとした瞬間だった。

自分は、母より先に命を落とすかもしれない。

母にう二度と会えないかもしれない。

何と親不孝な息子なのだろう・・・。

申し訳なさ悲しさで、胸がつまり、言葉が出てこなかった。

私に背を向けながら、台所で料理をしていた母。

その母の小さい肩が、声もなく揺れて、ずっと波打っていた。

22年間お世話になった両親に別れを告げ、平成13年3月 私は自衛官としての人生をスタートさせた。

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