この記事を見つけていただき、ありがとうございます。
こんな人に読んでもらいたい。
「自衛隊」についてもっと知りたいと思っている方
「自分の頭で考えて決断すること」を大切にしたい方。
この記事を読んで得られるもの。
自衛官に入隊したら、どんな生活が待っているのかを知ることができる。
自分の頭で考えて決断することが、なぜ大切なのかを知ることができる。
朝の静寂を打ち消すラッパ音
水を打つような静けさに、突如として鳴り響く、耳をつんざくラッパ音。

眠気を引き剝がされた私は、10秒と経たないうちに、布団をきれいに畳む。
タオルを掴み、怒涛のように階段を駆け下りる。
隊舎前に到着するや否や、タオルで全身の皮膚を激しく擦り上げる。

「気を付け!」「右へ倣え!」「番号、始め!」
張り詰めた号令が響き渡る。
圧倒的な規律と緊張感を前に、私の眠気はなすすべもなく消え去った。
ヒーロー願望
2001年春、私は自衛官になっていた。
同世代の仲間たちがビジネスの世界でしのぎを削る一方で、私は迷彩服に身を包み、顔にドーランを塗り、泥の中に顔を埋める日々を選んだ。

それは、有事の際には祖国のために命を賭して戦うという選択に他ならない。
しかし、これは、戦後の日本が忌み嫌い、否定してきた価値観そのものでもあった。
では、私はなぜこの選択をしたのか。
その理由はたった一つ。
「カッコいい」からだ。
たとえ危険が迫ろうとも、自分が正しいと信じることを潔く実行する。
そんな勇気と実行力を持った人々に憧れ、自分もそうなりたいと強く思った。
大学の片隅で手にした三浦綾子著『塩狩峠』。
その物語に心を揺さぶられて以来、私の視線は特攻隊員の遺書へと向いた。
彼らが遺した切実な言葉と向き合うことで、自分自身の生き方が、はっきりと定まった。
私のヒーロー願望に、自衛官という生き方はぴったりと重なったのだ。

天職に出会えた喜び
満を持して始まった、自衛官として必要な心と体を鍛え上げる8か月の教育訓練。
そこは、「自由」「人権」「生命尊重」といった、学校で教え込まれてきた価値観が通用しない世界だった。
でも、私には、そのすべてが楽しくて仕方がなかった。

「13人の大部屋生活」という、自由が全く利かない環境。
「~せよ!」「はい!」命令への絶対服従という、個人の人権が遠く及ばない生活。
自分の身体の損得を超える、大事なものを死守せよという教え。
世間一般の常識とはかけ離れたこの世界でこそ、自分の信念に基づいた生き方ができていると、私は確信していた。
静まり返った休日の駐屯地。
仲間たちが外の空気を謳歌している間も、私はひとり残り、戦闘服に鋭い折り目をつけ、靴を鏡のように磨き上げた。そして、教範の一字一句を追った。

当時の私は、とにかく心が燃えていた。
「これこそが天職だ」――その確信が、私を突き動かしていた。
周囲の反応
入隊前、「自衛隊に行く」と告げたとき、仲間たちは一様に顔を曇らせ、反対した。

安定や快適さを優先する現代の「常識」という物差しで測れば、それは狂気の沙汰に映ったことだろう。
「やめときな」「あそこは、余りものが行く場所だぞ」「人生台無しにするよ」
私の行く末を案じてくれる、心からの言葉だった。
それでも、私は、自分が心の底から求めるものは何だろうと自問し、自衛官になる決断をした。
自分で決断した道
あの決断から20年以上が過ぎた。正直、自衛官を続ける中で「間違った決断だったのではないか」と自問自答する夜もあった。
けれど今、心の底から思うのは、常識に流されず自分の頭で考えて決めてよかった、ということだ。

なぜなら、自分で決めたからこそ、自分の行動に最後まで覚悟と責任を持てるようになったからだ。
自衛隊という組織の中で、理想と現実のギャップに苦しんだとき、もしこれが誰かに勧められた道だったら、私はすぐに周囲のせいにして諦めていただろう。嫌な思い出しか残らなかっただろう。そして、自分の中に何も残らなかっただろう。
「自分で選んだ道だ」という自負があったからこそ、踏みとどまり、課題と向き合うことができた。
自ら決断し、引き受けた苦悩は、確実に私の一部となった。
常識を疑い、自分の頭で考え抜いて決めること。

それこそが、後悔のない人生を歩むための唯一の道なのだと思う。


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